サンシモン公爵 著『回想録』。太陽王の世紀を活写する
第一級史料において、当代最高の貴族が1709年の厳寒、
飢饉、悪疫をつぶさに語る。
図説第二輯への基盤論文
リスボン大地震におけるポルトガル王権の緊急政策と社会各層の救援活動
油絵『サンルイ島東端とランベール館(ラグネ画、1757、カルナヴァレ歴史博物館 複製 alamy)
右手はセーヌ右岸グレーヴ河岸。水運と交易の拠点である。宮廷医エルヴェシウスは河岸近くの
小道に医院を構え、哲学者エルヴェシウスはそこで幼時を過した。
永冶日出雄 ながやひでお
〈吐根〉開発を周知させるパリの公告
さるオランダ医家が多年にわたる探求と研究の結果、赤痢に
対する特効薬をついに創出し、施薬の準備を整えたので、公衆に
告知すべき重要事項として以下のごとく告知する。すなわち、
サン・ルイ街明星亭において開業する医家エルヴェシウスの
もとで、これなるブラジル原産の散剤を適切な価格に服用し、
赤痢を治療可能なのである。
L Lafont, La Dynastie des Helvétius, 1926, Paris, p.34.
油絵『ヴェルサイユ宮テティス洞壁におけるルイ十四世』画上は
ルイ十四世(中央白馬馬上)と王太子ルイ・ド・フランス(国王
の右、栗毛馬上)、
十七世紀フランスの代表的画家ニコラ・プーサンの大作『アスドッドのペスト猖獗』
(1630) 題材は『旧約聖書 サムエル記』に基づくが、1629年北イタリアの
悪疫蔓延を契機に制作された。この油絵は数奇な経路を経たのち、枢機卿リシュリュー
の采配でフランス王権に買上げられ、1680年代にはヴェルサイユ宮特別室に納められ
ていた。こうした作品の制作と秘蔵には防疫への祈願が籠められたであろう。
『ウィリアム三世とウヌール包囲戦』 (ヤン・ウィックの代表作 イギリス軍事史料館所蔵)1695年大同盟戦争においてナッソウ・オラニア家
ウィリアム三世は、連合軍のウヌール包囲戦を指揮し、ハイデルブルク占領を狙うルイ十四世に、決定的な勝利を収めた。
経験医エルヴェシウスの主著『諸々の疾病と効果的
治療に関する研究ー公共の福祉と貧者の救済のため』
〔序文〕
・・貧しき方々については毎日午前5時半から午後6時半
(冬季は午前7時から午後8時)まで診察に受入れる。さま
ざまな熱病や赤痢だけでなく、あらゆる疾患について、
慎重に容態を調べ、充分な治療を行う。発病の恥辱を怖れ、
受診を躊躇せぬよう、とくに留意されたい。
2020年コロナウイルスの猛威からヴェルサイユ
を防御するルイ十四世とフランス官憲
AFP 2020/03/30
図説第一輯への基盤論文
三代にわたる名医家エルヴェシウス家 ー評伝 エルヴェシウス家の人々
図説 近代ヨーロッパにおける伝染病と医療・防疫
序論 -試練の年、過去と現在
版画『アムステルダム港 1700年』(メアリイ・エヴァンス・コレクション)アムステルダムは海運と交易の
中心地であるため、古来伝染病の猖獗に悩まされた。なかでも1663年のペスト蔓延では住民20万人が感染し、
3万人が死亡した。
左記の論文はヨーロッパ文化選修の研究紀要『ヨーロッパ』に掲載された。ヨーロッパ文化選修とは
ドイツ研究者5名・フランス研究者5名をスタッフとして愛知教育大学に15年間のみ存続した研究・教育
組織である。当紀要は最年長のドイツ文学者、故山下茂教授の主導によって刊行され、全国諸大学に
寄贈されるとともに、愛知教育大学付属図書館によりデジタル化された。
1709年 フランス 凄惨な歳月
版画 『プハルツ選帝侯領ハイデルベルク城』ハイデルベルク城には多くの神秘主義者が擁され、ヘルメス・
カバラ的雰囲気に包まれていた。プロテスタント勢力に属する選帝侯フレデリック五世は1619年プロテスタント勢力によってボヘミヤ国王に擁立されが、翌年白山の戦いにおいてカトリック勢力に敗北する。
セーヌ左岸随一の盛り場サン・ミッシェル。のちに
経験医エルヴェシウスは広場の裏通りに医院を
移した。
ブラジル産イペカキュアナの根から抽出
された吐根(イペカ吐剤はいまも消化器
や呼吸器の治療薬として用いられる。
〈右〉東京都薬用植物園
〈左〉Alibaba France
コロナ感染 都市封鎖 パリの夜
①パリ・オペラ座 ②モンマルトル ③バスチィーユ第一論文 | ヨーロッパの沿革とエルヴェシウス家の源流 PDF | 『ヨーロッパ』 第1号 | 1989 |
第二論文 | 経験医J・A ・エルヴェシウスとルイ十四世治下のパリ PDF | 『ヨーロッパ』 第2号 | 1990 |
第三論文 | 経験医J・A・ エルヴェシウスとルイ十四世の軍事・外交 PDF | 『ヨーロッパ』 第3号 | 1991 |
第四論文 | 宮廷医J・C・A・ エルヴェシウスと1709年の凄惨 PDF | 『ヨーロッパ』 第4号 | 1992 |
第五論文 | ブルターニュの惨状と〈 エルヴェシウス薬箱〉 PDF | 『ヨーロッパ』 第5号 | 1993 |
第六論文 | 医家エルヴェシウスの名声と哲学者 エルヴェシウスの生い立ちpdf | 『ヨーロッパ』 第7号 |
名医家エルヴェシウスとパリ中心部
シテ島、サン・ルイ島およびセーヌ両岸がエルヴェシウス家
の生活および活動の基点をなした。(Michelin Paris Index)
新大陸を旅したオランダ統領の侍医ピロンは1648年刊行
の『ブラジル自然誌』において吐根 ipéekakuana の薬効
を紹介した。G Pison, Histoire Naturelle Du Brésil, 1648.
絵画『サン。ルイ島南側』(施療院に近いサン・ルイ島は経験医
エルヴェシウスが医業を始め、、隣人ジャンヌと結ばれ、悪疫への
特効薬を創案した思い出の地である。
版画『パリ施療院眺望』(A・アントワーヌ刻、1691)サン・ルイ島からシテ島東側の
パリ施療院とノートル・ダム大聖堂を望む。左手はセーヌ左岸。
版画『十七世紀のパリ施療院正面』(17世紀、マリエッテ画)
〈左図〉船着き場で侵入患者を迎えるアウグスチヌス会修道女たち
〈右図〉病床で医療と介護を受ける患者たち
Michelin Paris Index Plan 1977. pp.31-32.
版画『パリ施療院の病棟』(フランス画派、19世紀)画中は患者、医師、看護婦、そして神父。
第一章 | リベイラ王宮の壊滅とポルトガル王権の緊急政策 PDF |
第二章 | 緊急政策と救援活動の開始ー大地震前夜、震災第一日、震災第二日、震災第三日 PDF |
第三章 | 緊急政策と救援活動の推進その1ー震災第四日、震災第五日 PDF |
第四章 | 緊急政策と救援活動の推進その2ー震災第六日、震災第七日 PDF |
第五章 | 緊急政策と救援活動の展開その1ー震災第八日、震災第九日、震災第十日 PDF |
第六章 | 緊急政策と救援活動の展開その2ー震災第十一日、第十二日、第十三日、第十四日 |
名医家の初代ヨハン・フレデリック・ヘルヴェチウスとその主著『観相医学詳論』(1676年)ライデン大学で医学を修めた彼は、共和国軍医総監・オランダ統領
侍医長を勤めるとともに、著名な錬金術師でもあった。
町医者エルヴェシウスが〈明星亭〉なる看板を掲げた
サン・ルイ島サン・ルイ街。その店先は貧しき患者の
群れで連日溢れた。