【第525項】
破壊された殿閣はベンポスタ王宮、異端審問所、枢密院、さらに落成間近な観覧席である。この観覧席は徳高き君主に相応しい建造物であって、広場を引き立てるよう陛下が設計と建造を命じられた。観覧席に釣り合って広場には雄大な建物が連なり、麗しい礼拝堂、閣僚の豪邸、枢密院、市庁舎、聴聞室があった。タボラ侯爵邸、アレグレット侯爵邸、ニザ侯爵邸、タンコス侯爵邸も大きな被害を受けた。ヴァル・デ・レイス伯爵の豪邸もなかば破壊された。ヴィセント伯爵、ソウレ伯爵、ミグエル伯爵、ウンハオ伯爵、ヴィラ・ノヴァ・ダ・セルヴェイラ子爵、メスキテラ子爵の豪邸も同様である。
図説 リスボン大地震通覧VI - ロシオ広場と公共建築の壊滅
モレイラ・デ・メンドンサ著『世界地震通史』と往事ポルトガルの絵図
ベネディクト会の広壮なサン・ベント教会と修道院。被災を免れた教会は、
勅令により総大司教教会の代替に指定された。また、修道院庭園のテント
小屋へは多数の負傷者と被災者が収容された。現在の国会議事堂である。
リスボンとベレンの中程に位置するネセシ
ダーデス宮殿は被害が軽少であり、宰相
ポンバルの主導による救援活動と緊急施策の本拠となった。また、隣接するオラトリオ会の教会と修道院へは総大司教をはじめ大勢
の被災者を受け入れ、3名の医師による施療院も設けられた。12月13日サン・ロケ教会から出発した祈祷行列はネセシダーデス教会まで行進し、震災後最大の宗教儀式がここで営まれた。
ヨハネ黙示録第18章 バビロンの滅亡 『ルター聖書』
Revelation : Babylon burning, Luther Bible, c.1530
神の怒り その4
『新約聖書 ヨハネ黙示録』(第18章)
水上の船頭と乗客、旅する船員と過客、
遙かなる煙雲を仰ぎ、大いなる都バビロンの
破局を悟らむ。また、灰燼を頭上に受けて、
彼らは叫喚し、号泣し、呻吟する。
悲愴なるかな、大いなるバビロン、海運に
恵まれ、豪奢を極めた都、束の間に廃墟と
化する、と!天も、聖者と使徒と予言者も、
大いなる都につき歓喜されよ!神はこれに
懲罰を与え、汝らのため義を立てられたり。
5/通覧VI
2/通覧VI
【第527項】
リスボン郊外ではジェロニモ会の有名な修道院とベレン教会、三位一体アルカンタラ解放教会がかなりの被害を受けた。ルッズ教会、キリスト騎士団修道院の一部と同修道院の精神病院は倒壊。ティヘラスコム天国の門修道院とその教会は全壊した。マリアーノ・デ・カルナードス教会も同じく崩壊した。サン・フランシスコ・ザブレガス修道院は教会と僧坊に多くの損傷を蒙った。サント・エロイオ神父会(ベネディクト会)のサン・ベント修道会はほぼ被害を免れた。
〈上図〉1755年沢山のテント小屋が建てられた同庭園 (Fotopedia)
〈左図〉ネセシダード宮殿 1885年国王フェルナンド2世の葬儀
(Virtual Memories)
6/通覧VI
4/通覧VI
3/通覧VI
王宮広場からベレンに至る広域図 Mapa de Lisboa, Farway, 2012
ネセシダーデス宮殿広間 (Fundacao Calouste)
ネセシダーデス宮殿会議室 (Fundacao Calouste)
【第528項】
聖ベルナルド会の壮大なオディヴェラス僧院は多大の被害を受けた。サント・アゴスチノ修道参事会員シェラス
修道院はかなり損傷。カルニード聖母受胎修道院は全壊した。良き救済修道院は被害が軽く、秘蹟修道院も同様である。
同ネセシダーデス修道院(Pereira de Sousa)
オラトリオ会セシダーデス教会(Pereira de Sousa)
「ポルトガル国民議会1822年」制作オスカール・シルヴァ
(1800-1900)Oscar Silva, Portuguese Cortes 1822
jジェロニモ修道院回廊と中庭(Mostereirojeronimos)
ジェロニモ修道院 フィッリペ・ロボ 1657年 Mostereiro dos Jeronimos, Filipe Lobo, 1657.
同じく円柱埠頭 遙か右手のテージョ河港から大津波が押し寄せた。
海辺の風景にいつまでも見入る若者が多い。(SELF)
王宮河港円柱埠頭 大理石で造られ、突然沈没したペドラ埠頭
がかって左手鉄橋付近にあった。(SELF)
【第526項】
モンテイロ邸、ポルテイロ邸、ムルカ邸、ジョゼフ・フェリックス・ダ・クンカ邸、ジョゼフ・デ・メネザス邸、プリンパル・アランハ邸、ダニス・デ・アルメイダ邸、ジョゼフ・ジョワキム・デ・ミランダ・ヘンリック邸、クリストヴァオ・マヌエルデ・ヴィルヘナ邸、そのほか沢山の豪邸が大きな被害を受けた。
王立万聖病院旧蹟の一角、老舗喫茶スウィサ(Travel-Pictures)
火刑執行に先立ってサン・ドミンゴ教会での宗教儀式とロシオ広場
での祈祷行列が行われた。Grande Procession de lo da fe a Lisbonne
1970年代まで路面電車が乗り入れていたロシオ広場。かって正面奥は異端審問所 右手には王立万聖病院が聳えた。Largo da Rossio.
(Fundacao Calouste)
異端審問の場面 Qeisition in action , G. Landemann,, Historical Military, and
pitoresque Observation in Portugal., 1821.
「黙示録」でヨハネはバビロンの滅亡を語りつつ、暗に古代ローマの驕慢を誡めたとされる。交易に秀でた
海洋帝国という特徴では、ポルトガルの栄華も同様であった。なお、『ルター聖書』におけるバビロン崩壊の
記述には、ローマ教皇庁への批判も含むと思われる。
震災前のロシオ広場。正面左にサン・ドミンゴス教会とその広場、中央に王立万聖病院
Egreja e largo de S. Domingosu antes 1755。(Vieira da Silva)
ジュアン2世によってロシオ広場に.造営された王立万聖病院。王国きっての公共医療・救護機関で、当時のスタッフ50名、
年間患者数3000人と言われる。Hospital real de todos os santos.(ibid.)
【第529項】
破壊を免れた巨大な建物は、ベレン離宮の諸建築、ネセシダーデス宮殿、壮大で豪華な建築である秘蹟オラトリオ会修道院、イタリア・カプチン会およびフランス・カプチン会のそれぞれ修道院と教会、橄欖山素足アウグスチヌス会の修道院、ラヴライド侯爵の豪邸などである。
1755年リスボン津波被災図 M. A. Viana-Baptista, als., Tsunami Propagation
along Tagus Estuary, 2006. (図中の数字は筆者の書き込み)
1820年革命を成就した自由主義勢力は、憲法制定議会
において国民主権の確立、封建的特権の撤廃、異端審問所
の廃止を決議した。
【第526項】(続)
激流は石造の堅固な埠頭を越えて、王宮広場の河岸を襲い、ヴェドリア要塞のほぼ正面、税関事務所の倉庫にまで迫った。この地が破滅すると感じて、多く人々は激流の凄まじい勢いに圧倒され、地震によって散在する石材で防壁を積み上げようと思案する。陸軍大佐のカルロス・メルデル、大尉で技術者のエウゲニオ・ドス・サントス・カルヴァロは国王の指令によって埠頭を調査し、河底に漂う石材を探索して、破滅の兆候はないと断言した。
テージョ沿岸部王の泉 16世紀後半の情景 Chafariz El-Rei
同じくテージョ河岸に近く、名産市で賑わうデントロ泉広場(SELF)
木版画 テージョ沿岸のリスボン 制作 ジョルジュ・ハルティング,1887
Representacao imagimative de Lisboa ao longo da margem do Tejo,George Harting,
1887.
異端審問所(震災前)ルグラン画。Antique Palacio da Insiticao Lisboa, by Legrand
1836年異端審問所の跡地に建造された国立ドナ・マリア2世劇場。
ポルトガル最高の舞台である。(SELF)
古地図 ロシオ広場異端審問所(国立ドナ・マリア劇場)周辺
朱線:震災前 黒線:震災後 MappaV, Vieira da Silva, op., cit..
リスボン市街図ロシオ広場周辺 (Forway、2012)