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永冶日出雄 ながやひでお
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図説 黒田清輝と関東大震災
大震災善後会 被災地視察 1923年10月8日ー9日
往路 芝浦ー小田原ー(真鶴)ー(伊東)ー館山
復路 館山ー浦賀ー横須賀ー東京
「漁舟着岸」 1897年 房州海辺で描く。
「大磯」 1897年 相模湾で描く
「自画像」 1914年
1923年9月1日関東大震災が発生した瞬間、黒田清輝は麻生の自邸で入浴中であった。
2日後側近の画商、仲章吾を伴って本所被服廠跡の大惨事を視察する。やがて渋沢栄一の主導によって貴衆両院と有力実業家の連携が計られ、被災者救済のため資金の募集と交付を主眼とする組織、大震災善後会が東京を商業会議所を本拠として結成された。
議員代表のひとりとしてこの事業に参加した黒田は、常任委員として連日弁当持参で出勤し、活動の中核である救済部会で部長たる重責を担った。
救済活動についてみずからの証言はないが、彼の尽力と貢献を端的に伝えるのは、大震災善後会の公式記録、とくに救済部会議事録である。
「湖畔」 1897年
震災発生の年1923年における黒田清輝の制作
いずれも制作月は不明であるが、「挹芳園」と「紅葉」は大地震以降と思われる
(「黒田清輝作品集」国立博物館黒田記念館 online )
大震災善後会の一行が視察した相模や房総の沿岸は、かって黒田が好んで写生した景勝である。
「梅林」1924年
「林」1924年