アフリカ植民地 アンゴラの奴隷売買 ( The Slavery Museum Angola)

植民地ブラジル 金鉱オウロ(Bibliotheca Municipal mano de Andrade)

【第544項】
 王立税関所、インド商館、タバコ栽培園、商工会議所で焼尽した財産は、算定し難い。これらの建造物はきわめて広壮であり、人口稠密な首都に満ち溢れるあらゆる種類の財貨でつねに一杯であった。外国人が多くの財貨を有し、大きな邸宅を借りていたことも、留意すべきである。

 十五世紀最高の名作 『板絵サン・ヴィセンテ 』 は大地震の際サン・ヴィセンテ・デ・
フォーラ教会で消失したと信ぜられたが、一世紀余り経過した1888年教会に隣接するサン・
ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院で奇蹟的に発見された。制作者ヌノ・ゴンサルヴェスは
ポルトガル王宮に出仕したが、その画業と生涯は謎に包まれている。ゴンサルヴェスが
精魂を籠めたいまひとつの大作は、リスボン大聖堂倒壊のときに焼尽した。

【第545項】
 かつまた火災によっていかに多くが焼失したかを省察し、リスボンの富がいかに無限であったかを考えてほしい。数多のポルトガル人が歿した。王国も共同体も商業都市もこの火災によって消えた。

宮廷の広間(アジューダ宮殿)

LINK1 図説リスボン大地震通覧目次  LINK2 総合研究リスボン大地震1755年  LINK3 HOMEPAGE/INDEX 永冶日出雄
1931年『板絵サン・ヴィセンテ 』はパリの万国博覧会に出品され、
ようやくその真価が国際的に認め
られた。
   図説 リスボン大地震通覧 VIII - 経済的・物的被害の総体
  モレイラ・デ・メンドンサ著『世界地震通史』と往事ポルトガルの絵図

6/通覧VIII

5/通覧VIII

1/通覧VIII

2/通覧VIII

3/通覧VIII

4/通覧VIII

フロンテイラ侯爵邸 Palacio dos Marqueses de Fronteira  (フロンテイラ=アロルナ侯爵邸保存館 Fundação das Casas de Fronteira e Alorna)

  〈上図〉海洋帝国ポルトガルの拓殖と交易
 海外の産物や工芸はリベイラ河港の税関を経て、
インド商館や七商館へまず搬入された。こうした
拓殖と商易の背後には奴隷貿易の影が感じられる。

この板絵が発見されたサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院の
聖器保管室

現在これを所蔵する古美術館では陳列の場でいつまでも見入る
観客が絶えない。

聖ヴィセンテから祝福を受けるアヴェス王朝の歴代国王。 ほかにさまざまな階層が描かれた人間絵巻である。

 サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会にはポルトガルの歴代王廟が祀られ、典礼の際にはこの板絵がさまざまな形態で開示された。ゴンサルヴェスの技法には綿密な考証が進められ、描かれた人物、とりわけヘンリー航海王子については異説もみられる。
         神の怒り その5  
      『新約聖書ヨハネ黙示録』第18章
  強大なる都バビロン、瞬時に汝ら裁かれき。
 巷の商人、これがため泣き悲しまん。
 船で運びし名産、いまや売られず、
 金銀の装具、宝石と真珠、亜麻織と緋色布、
 絹糸と紅衣、香木と象牙、いまや買われず。
 銘木、青銅、鋼鉄、大理石の工芸、
 肉桂、香水、没薬、乳香、 ブドウ酒、
 オリーブ油、麺粉、小麦、牛、羊、
 馬、車、奴隷、人買い、いまや見られず。
 汝らの心好みたる甘き果実、遠くに去り、
 すべての豪華なるもの、壮麗なるもの、
 汝らを離れ、消え去らん。

王侯の馬車(国立馬車史料館)

宮廷の食器類(アジューダ宮殿)

『世界地震通史』においてメンドンサは貴族の邸宅のうち、焼尽したもの15、破壊されたもの22を挙げているが、ここでは一例としてフロンテイラ侯爵の豪邸について考察する。同家の起源は国王アルフォンソ一世の王子ドン・ジョアンが対スペイン独立戦争の功績として爵位を授けられたことである。壮麗な邸宅と庭園は邸は1755年の大地震で甚大な被害を受けたが、その後修復と改築を重ね、第11代当主の現在に至っている。

 【第543項】 焼尽した王都の一部がもっとも富裕な地域であるのを重視すべきである。なぜなら、そこにはきわめて多くの教会と殿閣があって、多くの貴顕が居住し、ポルトガル大商人の大半やすべての外国人貿易商も住みつくからである。同じく留意したいのは、この地域にふたつの目抜き通り、金座と銀座があり、四つの広い道路を毛織物や絹織物の商人が拠点とすることである。また、市中を練り歩き、極上の装飾品を売り捌く商人で殿閣の中庭は混み合っていた。リスボンの三つの中心地では小間物屋や食品問屋が軒を連ね、工芸ギルド街はもっとも豊かな階層をつねに呼び寄せた。
 

サン・ロケ教会の聖ヨハネ礼拝堂 1742年ローマで制作され、海路リスボンへ運ばれた。教会の正門は倒壊したが、内部は大破を免れた。Igreja Sao Roque,  Capela de Sao Joao Baptista

【第540項】
 リスボンの地震と火災によって焼尽した建物、不動産、機具、宝石、金貨と銀貨、農地は巨額に達し、その際限は測りしれない。『地震等歴史物語』の著者は様々な算定を付記しているが、みな恣意的なものと私は判断する。そのような算定とは別に、私が行った調査では、かなりの部分がより確かと思われるので、ここに若干の原理を提示して、莫大な損失であると推算したい。
2010年百余歳の映画監督マヌエル・オリヴィエラは短編『板絵サン・ヴィセンテー詩的幻想』を製作し、ヴェネチア国際映画祭で称讃を博した。

ヨハネ黙示録 バビロンの滅亡(ギュスターヴ ・ ドレ )Apocalypse, Babylon en Ruine, par Gustave Dore,, 1886.

アロルナ侯爵夫人レオノール・デ・アルメイダ
Leonor de Almeida Marquesa de Alorna 1750-1839

中国植民地マカオの商易 Macao Pig Market (Nenotavaiconta)

【第542項】
 王宮とその大宝物殿ふたつには精錬された宝玉、黄金、銀が満ち溢れていた。それらはフンソエン地方で驚くほど大量に採掘され、ほかでは僅かしか得られないものである。宮殿と宝物殿にはもっとも貴重な武器が多数保管されていたのではないか。したがって、リスボンが裕福で贅沢な都市であること、すなわち一介の土木技師ですら多くが金や銀や宝石を持ち、絹やビロードの織物、最良の材質の家具を所有することが判れば、裁判官や貴族の殿閣と邸宅で灰塵に帰した財富、すなわち宝石、貨幣、武器、家具を逐一点検する必要はない。

5洗礼盤 

7/通覧VIII

銀製の香炉と中国の陶磁器
(リスボン国立古美術館)

貴族の居間(リスボン装飾美術館)

上図はリスボン国立古美術館等に蔵されるカトリックの聖器類。左から 1聖体顕示器
 2聖体容器 3聖器保管筺 4燭台
 いずれもリスボン国立古美術館所蔵

 レオノール・デ・アルメイダの生家、タヴォール公爵家は、ポルトガル屈指の名門であって、宰相ポンバルに批判的な会派をなしていた。彼女が9歳のとき、国王暗殺未遂へ連座としてタヴォール公爵が逮捕され、終身刑に処せられる。尼僧院に送られたレオノールは、一族の艱難に耐えて自己を錬磨し、ルソーや『百科全書』から多くを学んだ。やがて彼女はロマン主義の女流詩人、文芸サロンの主宰者として輝き、晩年の大作をこの邸宅で執筆した。第6代フロンテイラ侯爵夫人レオノール・ベネデッタは彼女の末娘、1836年革命議会で重要な役割を担う第7代フロンテイラ侯爵ジェオゼ・トラスムンドは彼女の孫である。

フランシスコ会の名刹、サンタ・カテリーナ教会。
その豪華はサン・ロケ教会と双璧をなしたが、
大地震で倒壊し、1763年に再建された。
Igreja Santa Catarina ou Convento paulista
消失した財宝、家具、装飾は、被災を免れたり、
補填された品々から類推するほかない。

十六世紀インドの植民地ゴアの征服と繁栄 Goa by Jan Huygen va Linshoten, 1596.  

セイロンの文筺とインドの収集金庫 いずれもリスボン国立古美術館所蔵

日本との交易 南蛮画屏風 Biombo s-nambam (リスボン国立古美術館)

貴族の寝室(リスボン装飾美術館)

     栄光と繁栄の王都リスボン
〈上図〉テージョ河畔とベレンの塔  Torre de Belem
bei Lissabon by Jakob Philippe Hachert.
〈下図〉1660年リスボン河港の遊楽 (リスボン市
史料館)
Lisboa 1660(Museo de Cidade de Lisbao)

ブラジルの収納箱

  【第541項】
 リスボンの寺院で聖なる礼拝に捧げられる富は、いかにしても凌駕できないとすべての民族が告白する。富裕な都市の大半でのこれに劣らない。すべての教会には神への礼拝に供するため、金銀や貴重な宝石を鏤めた多数の聖杯、十字架、シャンデリア、大燭台、照明、聖器類が蔵され、豪奢にも聖櫃の飾り布、祭壇の台座、説教壇の飾りに銀が施されていた。これらの装飾には錦の布地、絹織物、ビロードの刺繍、金の紐やふさ飾りが用いられる。大抵は教会の全体に豪華な造作が施されていた。多額の経費をかけて広大な本殿は、麗しい石材で建造され、あまた金の彫刻と一流の絵画に飾られていた。金と銀しか見られず、豪華な装飾を施した総大司教教会には、どれほどの富が蔵されただあろうか。国王ジョアン五世の豪奢な趣味の所産すべても同様と考えられる。リスボンの旧大聖堂、サンタ・マリア大寺院についてもそうである。