【第511項】
同じくこの教区で愛徳信心会の教会と建物が炎上し、マグダレーナ教区では孤児院の教会と施設、聖霊礼拝堂から独立したサンタ・アンナ慈愛病院、サン・セバスティアン教会、聖母受胎教会とキリスト教団修道士コレジオ教会、さらにサン・ジュリアン教区ではオリヴェイラ古礼拝堂、サン・ニキュラオ教区ではパルマ礼拝堂、ヴィクトリア礼拝堂とその病院、キリスト昇天教会、サン・ジュスタ教区では王立万聖病院、アンパロ礼拝堂、難病治療病院、慈恵礼拝堂、サン・バーソノミュー教区ではサンタ・カテリーナ・コレジオ、托身教区では壮大なイタリア・ロウレト教会、シャガ教会、アレクリム礼拝堂である。サン・パウロ教区では通称コロポ・サントスと慈恵礼拝堂が倒壊と延焼を免れた。
【第510項】
豪華なサント・アントニオ教会は聖アントニオその人が往事暮した旧蹟に建立されるが、かってリスボン分割のとき市会会議室であった壮麗な建物とともに、また堂内を飾る沢山の銀細工や豪奢な装具とともに、サンタ・マリア大寺院の教区壊滅の際に焼失した。その裏手にあって聖歌殿は地震による破壊を受けなかった。人々はそこで驚くべき聖アントニオの奇蹟を目撃した。中心部の礼拝堂ではきわめて炎上が激しく、銀や銅などの祭具まで溶解したのに反し、聖歌殿はやや離れ、地震と火災を免れたため、燈明や多くの装飾に照らされて、祭壇の聖アントニオ像は安泰であった。
【第508項】
上述の圏内では豪華なトリニティ修道院、カルモ修道院、サン・フランシスコ修道院、アイルランド・ロザリオ修道院、聖霊修道院、ボアホラ修道院、キリスト教団修道院、サン・ドミンゴス修道院、サント・エロイ修道院がそれぞれ豪華で壮麗な教会とともに灰塵に帰した。ジョルジェ城修道院、サンタ・マリア・マグダレーナ改宗者修道院、サン・ロレンソ・カルモマリア孤児院も同じように被害を受けた。
【第507項】
こうした円形のなかで河岸地区、新街界隈、ロシオそしてレモラレス、アルト・バイロ、リモエイロ、アルファマの諸地域の大半が火災によって完全に壊滅した。これらは首都を構成する12地区のうちもっとも富裕で人口稠密な7つにあたる。火焔に焼き尽くされた王都の広大な部分には総大司教教会、およびサンタ・マリア大寺院(旧リスボン大聖堂)およびサンタ・マリア・マグダレーナ教会、聖母受胎教会、サン・ジュリアン教会、殉教者教会秘蹟教会、サン・ニコラウ教会、サン・マメード教会、サン・バーソロミュウ教会、サン・ジュルジュ教会、サン・ジョアン・ダ・プラサ教会の諸教区が完全に含まれる。また、サン・パウロ教会、托身教会、サンタ・ジュスタ教会、サンタ・カタリーナ教会、サン・クリストヴァオ教会の諸教区(これらでは教会も焼失した)、さらにジョルジェ城砦にあるサンタ・クルズ教会の教区もそうである。
例年6月に行われる聖アントニオ祭。リスボン最大の
祭事である。Fesata Santo Antonio (O Portal Magico)
D 教会へ通じるサン・ミゲル街 Rua de S.Miguel Junto a Igreja
C メニノ・デウス広場とアクゲ横町
Largo do Menino Deus da Travessa do A cougue
ガメイロの画集『リスボン懐古』 に収録
される絵図百余点の過半はアルファマ平素の情景である。地震と火災によって相当の被害を受けたが、この地区では古い街並と家屋の面影がいまも感じられる。
Gemeiro, Lisboa Velha, 1925.
B サン・ジョアン・ダ・プラサ横町
Traversa de S. João da Praca 大聖堂裏手
Aサンタ・ルチア教会 Igreja de Santa Luzia
【第509項】
サンタ・マリア大寺院(大聖堂)では時計塔をはじめ古式で雄大な建造物が地震によって倒壊し、教会の炎上によって礼拝堂、宗務所、控室もすべて破壊されたものの、壮麗と讃えられる優美な立像、聖母マリア奇蹟像とその衣装がなんらの傷痕もなく護られた。
あまりにも有名なカルモ修道院の震災遺蹟 壁面の彫刻や装飾まで被災のまま保存されている。(SELF)
アルフレド・ロケ・ガメイロの肖像
(1864-1935)
同時代の画家 A・モラエスの作品
震災前のサン・ドミンゴス教会とサン・ドミンゴス広場
Egreja e largo de S. Domingosu antes 1755
Vieira da Silva, A Velha Lisboa, Lisboa, 1927
ジュアン2世によってロシオ広場に.造営された王立万聖病院。
王国きっての公共医療・救護機関で、当時のスタッフ50名、
年間患者数3000人と言われる。
Hospital real de todos os santos.(ibid.)
図説 リスボン大地震通覧 IV -大火の席巻と王都全域の被災
モレイラ・デ・メンドンサ著『世界地震通史』と往事ポルトガルの絵図
〈左横〉サント・アントニオ教会の正面。後方に大聖堂の角塔が聳える。
〈左下〉リスボンの守護聖人アントニオが祀られる祭壇。地元住民に
篤く敬愛される。(SELF)
震災後大聖堂は数次にわたり再建・修復され
た。下図の彩色陶板のようにかってふたつの
塔の先端は突塔で飾られた。(Se、Lisboa)
リスボン大聖堂(「絵巻 ムーア人からの防御」
Se de Lisboa. Portaria do Mosteiro de Sao Vicente de Fora
大聖堂近くのサンタ・アンナ慈愛教会
聖なる慈善の家における施療
Santa casa da Misericordia,
(Biblioteca de Arte)
【第506項】
旧市街の大半と新市街の多くが火災によって灰燼に帰した。火災の被害を受けた範囲を描けば、円周1レガ以上に及ぶであろう。火の手はサン・パウロ教会から始まり、広く沿岸部へ拡がった。円周はこの教会からルモラレス、王宮広場、ナオス河岸、王宮広場、シダード河岸、カエス・デ・サンタレムを経て王の泉にまで至る。
そこからサン・ペドロ拱門とサン・ジョアン・プラサ教会の背後へ登り、サン・ジョルジェ教会へ向う。さらにサント・エロイオ修道院のサン・マルチノ教会正面へと飛翔し、サン・バルソロミュウ教会正面まで拡って、サン・ジョルジェ城砦をも脅かす。坂を下って火の手は、アンソルファ門、サン・パトリシオ・コレジオ、サン・マメド教会、城砦海岸へ進み、
サン・クリソヴァオ教会の横と正面を経て、ボラテーム井泉裏手のサン・ジュスタ教会の背後へ達した。王立万聖病院とサン・ドミンゴ修道院をも類焼し、ロシオ広場で修道士小路へ転回して、カダヴァル公爵の宮殿を通り、ガリシア街コンデッサ街、オリビエラ街を経てトリニティ修道院に入り、サン・ロケ教会裏手に昇る。さらにノルテ街、カラサテス街、バロッカ街、アタラヤ街の各大半を焼き尽し、改宗者修道院門前のカルカダ・デ・コンブロ街を横切ったあと、シャガ教会を経由し、ついにサン・パウロ教会の背後、火の手が駆け巡る円周の起点へ帰還したのである。
サン・ニコラウ教会 『版画集 リスボン荒墟の偉観』(多色版)
ペデガシェ素描、ルバ板刻.。この連作は地震の物理的威力の表現として
傑出し、シアンタレッィ の連作『カラビア地震』など以後の災害絵図に
多大の影響を与えた。
Pedegache et Lebas, Igreja de Sao Nicolau
Collecao de algumas ruinas de Lisboa. 1756.
【第505項】
地震と火災はきわめて広大で人口稠密な都市の主要で最良の地域を
崩壊させ、破滅させた。地震による様々な破壊を述べたあとは、火災
による大規模な被害についてまず語ろう。
再建されたサン・ニコラウ教会の堅固な
礼拝堂〈上〉と重厚な正面〈右〉(SELF)
(左)主要な火元のひとつサン・パウロ教会 Igreja Sao Paulo,
『版画集 リスボン荒墟の偉観』
(下)再建されたサン・パウロ教会とその広場 人口密集の地区で、
地震、津波、火災から三重の直撃を受けた。(SELF)
サン・ニコラウ教会 『版画集 リスボン荒墟の偉観』(単色版)
F ファリンハス街 Rua das Farinhas
E サン・クリストヴァンの石段
Escadinhas de S. Cristovam,
リスボン大聖堂の被災(ペダガシェ素描、ルバ版画『リスボン荒墟の偉観』)
Cathedral , Pedegache/Lebas,
Colleçao de algumas ruinas de lisboa, 1757.
震災前のカルモ修道院門前(上)同裏手(下)
( Gustavo de Matos Sequira, O Carmo e a Trindade ) ..